バカの瞬発力
ゴーストバスターを読んだ後に、これを読んでます。ゲッツ板谷著、西原理恵子絵。ブックオフで気楽に買いました。そして気楽に読んでます。
長年、魚の小骨が喉に浅く刺さったように抜けない問題に、親子問題というのがありまして、たまにテレビで引きこもりの子供や、非行少年少女の実態などをやっていると、必ず見てしまいます。教育関係の人たち、長田百合子が出てくるヤツとか、大好きなの。年齢だとか立場的には親の側から見るのが当たり前なんでしょうけど、私は大概、子供側に足を突っ込んで見てしまう。子供と親との関係をどう捉えたらいいか、親と子供というものは特別な関係なのか、それとも数多ある人間関係の中の一つと言うべきなのか。それが問題なんだよ、それが。養っているものと養われているものの関係はどう捉えたらいいのか。愛情なんかを絡めたら、余計混乱する。この場合、では愛がなければ、愛情を感じなければ御破算にしてもいいのか。私はそれならそれですっきりして、気持ちいいと思う。恋人関係も友人関係もお互い愛をベースにしていて、どちらかが相手に対して愛想が尽きれば、終わりにしてもいいものとされている。親子関係も愛がベースならそれでいいはずなのでは。利害をベースにした関係、雇用関係、取引先との関係、上司部下との関係、同僚との関係、顧客関係、隣近所との関係、社会的な関係は往々にして好悪の感情を抑えた付き合いになる。嫌いだからといって即ぶちこわしてしまえない、そういう関係だ。夫婦関係は本来恋人関係と同じく、どちらかの愛が消えた時点で終わりにしてもいい、と思うのだが、財産を共有しているのだから利害関係が入ってくる。社会的な関係ということで、感情を抑えた付き合いが必要なのだと思うが、果たしてこれをどうとらえるか。自分がリラックスするはずの家で、気遣いを必要とするって、いったい?でも、出来た人間なら家でこそ自分を抑制するものだという。私は修行が足りなくて、まだまだ家は発散の場だ。さて、親子関係なのだが、これはどうしたらいいんでしょうね。お互いがお互いに向かって発散する関係、残念なことに私の親との関係は、こうした不毛で恥ずかしいものだった。本当に消してしまいたい、恥ずかしいものだ。相手を思いやれないのだ。どうすれば相手が喜ぶかを考えられない、自分を押しつけてくる、相手を思ってやっているのが自己満足になっている。嫌だから止めて欲しい、ということをやる。本当に掃きだめのような関係だと思う。こうして思い出しているのも嫌だ。絨毯を敷き詰めた狭い部屋で、げろタンしょんべんうんこを思う存分垂れ流しあっているようだ。しみこんでしまっているので、その不快な匂いに朝昼晩と悩まされる。絨毯をかえることも出来ない、記憶喪失にでもなれば別だが。何故かテレビドラマの中での家族は、ビンボーで険しい家族関係の中でも父がちょっといい道徳的なことを子供に諭していたり、母が愛情を示したり、一瞬でもそんな顔を見せるのだが、そんな家はあるんだかないんだか。時が来れば、親を許せる親の愛を知る親を理解できる、その時は私にはまだ来ない。永遠に来ないんじゃないかと思うんだが。それ、ホントのことなのか。嫌いなんだから仕方ないじゃん。人間同士なんだから、合う合わないがあって当たり前だし、たまたまウチの親と私はウマがあわなかったんだと思うんだけど。これが私の精一杯の割り切りで、出来るだけ顔を合わしたり会話をしたりは、私が嫌な気分にになるから止めようと思うのだが、なかなか理解されない。もちろん私の人間が出来ていないから、ここまでなのであって、もっとすべての人に愛を注げるような人間にでもなれば、両親にいい顔を向けられるのだが。一神教のイスラム教徒にでもなれば、こんな事は解決するんだろうな。神の命令に従っていればいいのだから。親を敬いなさい。
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